大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

ジブリの人気のメカニズムを知って金曜ロードショーのトトロを見たらめっさ泣けた話

   

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最近、こういう本を読んだのです。

そして、トトロを観た、ごっさ泣けた、世の中まだまだ面白いなと思ったわけです。自分自身は世の中でいうクリエイターでは無い訳だけども、何かを伝える、表現するという場合、手法や考え方は大変重要なことだと思うので、こういうのを読んだりする訳です。

なぜ、ジブリはヒットするのか?

フォーカスされているのは、「情報量」というキーワード

実写だと子どもには情報量が多すぎて、複雑すぎてよく理解できないんです。子どもには単純な絵のほうが分かりやすいんです。

庵野監督の感想がまたおもしろかったのです。 「じゃあ、なぜ宮さんは脳に気持ちいい形を正確に描けるのか?宮さんはおそらく目が見たとおりをそのまま描いているだけだと思います。つまり脳が認識して、受け取った情報のまま、紙に写しているので、それが結果的に脳が理解しやすい形になるというのが宮崎駿の秘密だと思います。

つまり高校生にとって「いい着メロ」とはなにか、なにを基準に着メロのよし悪しを判断しているのか、とは音の大きさだったわけです。ところが音が大きいほうがいいというのは他の着メロサイトもさすがに分かっていて、どこのサイトも音量は最高に設定したデータで着メロをつくっているわけです。

そこで音量設定をこれ以上あげられない状態で音を大きくするために、ぼくらが思いついたのが、違う楽器の音を同じ音程で同時に鳴らして、音を重ねることによって音に厚みを持たせるというテクニックです。

ふつうの着メロは原曲がピアノを使っていたら、着メロのピアノの音色を割り当てて鳴らすし、原曲がギターを使っていたら着メロのギターの音色を割り当てて鳴らすのが当たり前なのですが、ぼくらはピアノだろうがギターだろうがベースだろうが音色を問わず、原曲でその楽器を使っているかどうかはもはや関係なくて、たんに重ねて音圧を上げるための道具として使うことにしたのです

こうして、他社のどこの着メロサイトよりも大きなメロディを鳴らせる、ドワンゴオリジナルの合成音色というのを開発して、それで着メロをつくったのでした。

結果、高校生や大学生を中心に、なんだか飛び抜けて音のいい着メロサイトがあると口コミで広がり、大ヒットにつながったのです

情報量が適切なものであるかということが、作品においてはとても重要であり、ヒットするものって何かしらこの部分が優れているはずだと確信します。

では情報量がどうなっているのか

上のことを頭で理解しつつ、金曜ロードショーの録画をみると、なんかより染み入ってくるというか、改めてとんでもないなと感動してしまいました。情報量を極端に濃縮して、重要なポイントだけを表現しているようなシーンしか無いんだなと。言語化が難しい感覚の世界をなぜあんなにも伝えられるのかなと。
・こういうのが心地良いと感じられる姿だという自然の情景
・引っ越してきた時に扉を開けた時の、かまどの部屋の薄暗さのおっかない感覚
・お父さんのバスを待っている時にめいが見つけた、ほこらの薄気味悪さ
・電報届いてからのさつきが、おばあちゃんに泣きつくまでの空気感
とにかくもう、そうやねん、そうやねん、そういう感覚になるねん、なんでそこまで感覚を呼び覚ます働きかけを行えるんですかと、もう不思議で不思議で気付けば涙ポロポロ流しておりました。

引き算の重要性

最近、どこまで引き算出来るかなのだなと感じてたりします。何かの事象をとらえ、どこまで膨らませられるかも重要なんだと思いますけど、ここまで情報が溢れていると、そこから自分が重要だと感じるところだけを残したり、そこに気づいて、それ以外を省いたり、最小化させるような取り組みが大事で、それで残した部分にどこまで価値を感じてもらえるかが、コミュニケーションでも重要であると思います。情報の羅列は出来るけども、あえてしないで、選び取った情報を提供するだけで、膨大な情報の中から、そこを汲み取ったんだなと理解させるような「それ」に至っているのかと言うことです。正解が分かりずらいことなので難しいのでしょうけど、ほとんど全てが、「それ」になっている領域のトトロって、そりゃあ神がかってくるよなと、幼児の頃から見てきた作品のすごさを、20年以上経って改めて思い知る訳です。うーん、でもほんま、感動した。アンパンマンとトトロはどう考えても、これからもすごい。

ほな

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