大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

アウェイな環境へ切り込んでいく時の心得についての話

      2016/10/12

Pocket

設営が苦手だ。そもそも、めんどくさいと感じてしまう。たたみ方のよく分からない机の足とか見ると、設計したメーカーを呪いたくなる。手の皮挟まれてしまうんじゃないか感のするものには、なるべく近づきたくないし、近づいたらだいたい挟まれて微妙だけども、何日かちゃんと痛いようなことになる。必要な時に、脚立は無いし、必要な時にガムテープもない。さっきまで、そこにあったものが、次の瞬間にはない。いったいなんだとなる。だから、これらがずーっと起こり続ける設営が嫌いなのであるけれども、地方においては頻繁に直面することになる。

先日、長男の運動会があった。急な天候の変化によって、開催時間に現地に行くといまだ設営が行われていた。出た、設営・・・となる。車に戻って待機という選択肢ものあったのだが、それを行ってしまうと肝心な場所取りに遅れを取ってしまう可能性があり、どこに誰が場所を取っていいかどうかも、この設営が出来上がり次第、決まっていくような気配である。周りを見ても知ってる人間はいなし、そもそも知っている人間など存在しない。あるのは、設営の役割だったんでこの格好ですよというジャージ軍手のやる気満々のおっちゃん達であり、場所取りの情報を一番最初に仕入れるのもきっとあそこであるはずであった。

あの輪に入らなければ、最新の情報は得られない。しかしながら、完璧なコーディネートの布陣に、普段着の自分がいきなり紛れ込むのは、お前はなんだとなりそうだ。嫌すぎる。輪に加わった瞬間に、「いや、大丈夫ですよ、足りてますんで」的な優しいあれをされても、毅然として、「いや、こっちこそ大丈夫なんで」というあれを決め込むことが出来るだろうか。嫌すぎる。しかし行かなければ何も生まれないし、始まらない。車に待機という無難な選択肢を取ることは、長男のこれからするチャレンジに対してあまりにも情けない行動ではないだろうか。

5分間葛藤をし、僕は心を決めた。設営に加わると。そして、持っていた傘と、場所取り用のシートをそこらへんに投げ捨てて、丸腰でその輪の中へ入っていった。この場合に重要なのは、体を開くことだ。そこに迷いがあった場合、周りにはよりその迷いが伝わってしまう。海パンデカのごとく自然体となって、その輪に加わり、これまでのその一団が持っているリズムに溶け込んでいくしかない。そのリズムを掴むためには、体を開き、心を開いていなければならない。そして、その状態のままその中で一番強いやつを探す。その人間が発信するメッセージこそが、リズムの原動力となっている可能性が高いからだ。「あのシートの下にある、三輪車を持ってこい」、とても分かりやすいお告げが発せられた。あとは何食わぬ顔をして、それを取りに行き、これっすよねっと笑顔で置けばいいだけだ。のれている、完璧にのりきっている、この一団のリズムに。「搬入車がくるから荷物を降ろしてくれ」これまた分かりやすい。やはり一番強いやつの近くにいることは重要だ。完璧だ。葛藤した5分が無駄にすら思える。すでに今の自分であれば、スタメンとしてやり込んできましたよぐらいの空気を醸し出すことすらも可能だ。

そんな中、発表された場所取り表。初めての場所にも関わらず、敷地内のほぼ完璧な位置情報を設営に加わることで身に付けている。すべては情報の最も近いとこにいて、場の把握を短期間で誰よりも行ったからだ。やればできるだが、やった分しか世の中は動かないわけで、やらないと始まらないという方が正しい。ほぼ完璧な位置にシートを敷くことができた。

そして、運動会始まったが、正直場所取る意味あんまりないやんぐらい、立っていろんなとこ動き回ってる方が撮影はしやすいとか、午前中でプログラム終わるのしらんくて、え?お前、そんなええ場所取ってんのに、最後までおらんの?みたいな顔されながら、午前中でシートを撤去し、場所をオープンにする時の空気に、さすがに体も心も閉じ切ったりした訳ですが、保護者対抗の棒引きに参加し、チームは優勝するまで勝ち抜いてみせるも、向こうからくるお母さん複数人相手に本気で引っ張りまくって、勝利した自分が後から考えてみれば、なにしてんねやろとなったり、運動会親父あるあるのアキレス腱を切るだけにはならないように気を付けようと改めて思うばかりでありました。

ほな

Pocket

 - ブログ, 熊本 移住