大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

こち亀が終わるってことで思いを馳せてみる話

   

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こち亀が終わるらしい。ジャンプを何曜日に読んでいるやつなのかは、個人の能力を推し量る重要な指標であった。大阪の地元エリアは土曜日であったが、土曜日の15時に並べるところが最速であって、その時間には同級生が何人かウロウロしている時もあったし、初めて土曜日に手に入れられることを知った時の、店頭に並んでいるジャンプの感じは忘れられない。そんな中、熊本で聞いたら火曜日って言う人がいて、それ一部地域やん!って馬鹿にしていたら、さらに離島に住んでる人は水曜日って言ってて、そこまでいくと逆に土曜日が、そんなに前倒しされる異次元にいったのかと錯覚させるほどであった。

今週のジャンプのこち亀をもう何年振りだってぐらいに読んだ。中川と麗子のシュールな指摘と表情が、やっぱ面白いなと思った。こち亀は実際に季節に合わせて、物語が展開される。日常や流行りものに合わせて、毎回話が変わっていくが、冬の時期には寒いと言いながら両さんがストーブに当たるシーンとか、暑い夏にはうちわであおいでいるシーンとか、夜勤の時の深夜のシーンなんかは自分の日常とリンクして、妙に親近感を持ったりした。

たまごっちや、エアマックスや、ベーゴマや、Gショックや、GIジョーなんかの回の、こち亀は食い入るように読んだし、実際ベーゴマはこち亀で知ってから、どうしても手に入れたくなって、親父に松屋町まで連れて行ってもらったけども、このご時世にベーゴマやるやつなんておらへんでって感じで、なかなか無かった。何軒もまわってなんとか手に入れられた。次の日、小学校に行くとみんな何らかの方法で手に入れてて、当時のジャンプの影響力は半端じゃないものがあった。

両さんの部屋が汚かったり、働くとはこういうことなんかなと思ったり、大人の生活とはこういうことなのかなと、漠然とこち亀から学んでいたであろう僕は、こち亀が無かったら今の子らは、何に社会人を投影するのかなと振り返ってみて思う。

さんざん読んできて、実家にコミックスが何冊もあるが、実際覚えている話はあまり多くないことが、思い出そうとして分かる。断片的に、おばけ煙突、勝鬨橋、白鬚橋、不忍池、浅草の映画館、みたいなのを題材にした感動系の話には、涙が出た記憶があるが、あんまり詳細を覚えていない。読みながら大爆笑した話を一個覚えてて、拳闘士っておもちゃが流行った時に、その攻略法があると、全然違う奇怪なダンスみたいなのを騙されて教えられた両さんが、冷静にしている相手に対して踊りまくるシーンは、その落差がどうしようもなくバカバカしくて、何回も見て何回も笑った。

僕よりも年上なこち亀は、親からも「これまだやってんの?私が学生の時からやってるで、長いなー」って言われていた。自分が知らない過去から脈々と続いているものに対する、どこかしら畏敬の念を抱きながら読み始めたマンガがいよいよ終わるのかと思うと、勝手に感慨深い。そんな風な人が、特に今週は世の中に本当にいっぱい現れるんだと思う。

日曜の晩にご飯を食べながら、「金がないやつは俺んとこへ来い 俺もないけど心配するな 見ろよ青い空 白い雲」というアニメのOPテーマを聞いていた時に、突き抜けたエネルギーを感じていた。両さんは、ずーっとそうやって利己的なんだけど、底知れぬエネルギーで世の中を励まし続けていたんだと思う。

こち亀が描き続けた日本社会と文化が好きだし、楽観的でありながら強く主張するその姿勢は、何物にも対等平等でありながら、独自のスタンスを貫き通しているんではないかと考えたりする。

200巻で物語は終わるけれども、今後も色々と再発見されながら永久に読み継がれるはずであって、ぼくも引っ張り出してこち亀読み直しにふけろうと思います。このどことない寂しさを埋めるために。

ほな

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