大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

ドMドSの正しい使い方についての話

   

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ぼくドMなんでってドヤ顔で言われると、どうリアクションしていいか分からない。あれはいったいなんなんだろうか。おもっきりつねったりしていいんだろうか。あと、ぼくは雨男なんでって言われても、しらんやんとなる。あれはいったいなんなんだろうか。水不足で困ったらいつでも呼んでくれってことなんだろうか。
よくよく聞いてみると、苦労が好きだってことを言いたい時に、ドMなんでみたいな表現が出る。その苦労が努力をすることにおいての苦しみだったりする時に、ぼくドMなんで大丈夫なんですと言われたりすると、いやいや、そこにSとかMとか関係ないやんと反射的に思ってしまう訳だが、世の中にはどんどん広がっていっているように感じる。

逆にあの人ドSやなは、けっこー意味がわかる。そやなってなったりする。しかしながら、ぼくドSなんでは、これまたやっぱりお前だれやねん感が出る。ここで分かったことは、S、Mは人が決めることだということだ。SとドSの関係性の中では、SがMとなり、ドSがSとなる。SとMみたいなのは関係性の中で変わるはずなのだ。ミミズが雌雄同体で交尾のたびに役割を決めるように、SとMもその関係性の中で変わりやすいものであるにも関わらず、先に宣言をされるところにおそらく違和感があるのである。

しかしながら、違和感がない場合がある。それは、個々人の抗いようのない本質的な部分がとんでもなくアダルティーな環境下でさらけ出される時以外にはない。その普段時とのギャップがあったりすることでの驚きを含んだ喜びを動力源として、今日も地球は平和にまわっているんだと思う。したがって、SとMの正しい使われ方は、原則としてこのタイミング以外では発生し得ない。ふだんSっぽいが、その環境下では実はドM。この感動によって、人類は今現在まで生きる希望を失わなかったのだ。

いったい、なんなんだろうか、この投稿は。

ほな

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