大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

考え方が全てだとやっぱり確信した話

      2016/06/14

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ちきりんさんと梅原大吾さんの「悩みどころと逃げどころ」を読みました。前評判高かっただけに期待していましたが、期待していた通りに面白かったです。

ちきりんさんブログ 【知らない方は読んだ方が良いです】
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/

ウメハラさん経歴【日本人初のプロゲーマー】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E5%A4%A7%E5%90%BE

画像汚いけども、こういうプレイが凄すぎたらしい
https://www.youtube.com/watch?v=fTyewgmEoGU

ちきりんさんのブログは、初めての転職を考えている時に、いっぱい読んでいて多大な影響を実は受けてました。大企業はこうだからイケてないみたいな論調がいちいち当たってて、電車の中でまぁまぁ悶える日々を過ごしておりました。その後も何かを考えたりする時、ちきりんさんならどんな視点で見てるんだろかとか思うようになりました。

悩みどころと逃げどころ 著/ちきりん  著/梅原大吾

経歴の詳細は不明となっていますが、海外でMBAを取得して外資系コンサルティングファームに入ったというガッチガチのエリート筋から退職し、趣味でブログを書きながら自分の人生を歩むちきりんさんと、学歴は無いものの好きこそものの、上手なれで極限まで自分を追い込み成長を続けるウメハラさんという対極にある二人が「いい人生」を手に入れる為、100時間に及ぶ対談をし、それがギュッと1冊になっています。

本の始まりはこんな感じ。知的で優しいちきりんさんの言い回しに、いつも引き込まれます。

これまで書籍やブログ「Chikirinの日記」を通して私がずっと伝えたいと思ってきたのは、世の中の〝あるべき論〟に囚われて、自由に生きること、本当に好きなコトを諦めてしまっている人への応援メッセージでした。 「自由に生きたい」というのは私自身の人生のテーマでもあり、だからこそそれがどれほど難しいことかも、よくわかっています。特に難しいのは、「頑張りどころ」と「逃げどころ」でしょう。
私たちふたりもまた、数多くの回り道をしてきました。悩まずに何かがつかめる人など、ひとりもいないのです。ラクな人生なんてどこにもない。でも、もがいてあがいてトコトン自分と向き合ってこそ、それぞれの人がそれぞれの「いい人生」と巡りあうことができる。

何か所も印象に残っているので、今回はこの部分について。

ちきりん:正直言って学歴がないとどう見られるのか、体験してないので私にはわかりません。だから本当に悲惨なことになるから、とにかく大学までは行っとけとウメハラさんが言うなら、そうなのかなとも思います。でも最近よく私が思うのは、学校って不利な人をより不利にする場所だなってことなんです。つまり、能力とか取り柄のない人ほど、学校に行くことで不利が大きくなる。
ウメハラ:不利な人がもっと不利になる?
ちきりん:ええ。私の認識だと、今は生きていく力が強い人ほど学校に頼らない。ウメハラさんにしても、学歴を含め、経歴を何も開示せずに活動してる私にしても、その例でしょ。 それから親だって、教育熱心で経済力がある家ほど、公教育をあてにしなくなってる。で、インターナショナルスクールに行かせるとか、夏はアメリカで教育系のキャンプに参加させるとか、ネットで勉強させようとか。そういう動きが出てるのって、彼らが「日本の公教育にはたいした価値がない」と思い始めてるからなんです。ところがその一方で、環境的に恵まれてない人ほど、「この状況から抜け出すには、とりあえず学校だけは行かなくちゃ」みたいになってて、経済状態が厳しくてもアルバイトをしたり借金をしてまで学校に行く。ところがその学校は、生きていくために必要な力をつけてくれるわけじゃない。だからますます生きる力の格差が拡がってしまう。教育って本来は、環境に恵まれない人にリカバリーのチャンスを与えるための制度なのに、今はそれとは反対のことが起こってると感じるんです。だからウメハラさんみたいに「とりあえず学校に行って、大学までは出ておいたほうがいい」とは、私は全然思えない。
ウメハラ:確かに自分で食ってける人や、自分で考えられる人は、高校や大学に行く必要はない。でもね、能力勝負の世界は椅子が少ないんですよ。

そもそもの世の中のルールを疑えるかという文脈がある中で、「学校」に意味があるのかと疑問をなげかける元学校エリートのちきりんさん。それに対して、学校は行った方が良いという成績が1.2だったウメハラさん。この行った方がいいという根拠は「学歴」の有無が依然として日本社会の中では重要視されることをウメハラさんは実体験も含めて説明しています。

このやり取りを見ていて思い浮かんだことが二つあります。
1.考え方が深いし面白いし、ものの見方についても非常に誠実で尊敬できる大好きな人がいる。それこそ低学歴なぼくからすると、よっぽどその人の方が賢い。でも、高校中退かなんからしく、ぼくなんかはそれ聞いても、だからなんでしたっけみたいな話だけど、本人はこちらが思っている以上にその部分に引け目を感じている。
2.学歴や年収にこだわっている時期があって、学歴高い=年収高い=最強偉いと強く思っていた。ある先輩にそのことを言うと、「まぁでも何にもなしで世の中にほっぽり出した時に、一人で立っているか否か」の方がよっぽど重要やと思うけどねみたいな話をされた。

一人で立っているか度=生きていく力の強さ度
生きていく力の強さ度=自分が考えて導き出した回答を持てるか
となるのではと思います。

で、最近感じるのは年収においてもタイミングの問題があって多少凸凹するのですが、最終的にはこの生きていく力の強さ度に収束していくような感覚があります。ここが高ければ、どこかのタイミングで年収はついてきますし、逆に年収の方が高い場合は、どこかで減るはずです。だからこそ、1の人は今後も大丈夫だと思いますし、収入の考え方も賃金だけではなくて、人としての信用とかも含めると、もっと大丈夫なんだろうなと感じる訳です。

そこで、もし自分の子供が学校に行かなくてもいいか?と尋ねてきた場合は、今の時点ではこう答えようと思っています。「学校に行く以外で、生きていく力が増せそうな選択肢があれば、そっちにしよう!」「生きていく力ってなに?」「え・・・?うーん、、え?それが考え付くまでは、とりあえず学校いっとく??」駄目だ、相変わらず威厳がない。もっと磨かなければ。

長ったらしく書いてますが、言いたいことはおなじみの羅王さんが下記のエントリーでまとめてくれています。物事の考え抜いて実行する力や発想は、学歴と必ずしも比例する能力ではないので、個人にその力がどれだけあるのかを自分が理解できる人間になり、世の中がもっと生きる力を育むこと重視に変わっていけばいいと改めて思う次第でございます。

学歴や経歴より◯歴を知る #854
http://road-to-raoh.com/20160112/

ほな

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