大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

元カノのことを思い出すように、シャープのことも気になったりする話

      2016/11/15

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液晶事業⇒産業革新機構?鴻海? 家電⇒東芝と合体? 太陽光⇒ソーラーフロンティア?

シャープの経営再建を巡って、最近よく動きがある。初めて勤めた会社なので、やっぱり色々気になる。自分の会社がCMで放映されることがあることも、日経新聞に載ることも、そんなことが生活の一部になっていく新鮮さを、さっきまで大学生だったんですけどみたいなやつに教えてくれたのはシャープだった。

シャープに入社したのは、2007年。その時はYUIのCHE.R.RYを聴きながら新人研修に向かっていたことを覚えている。当時のシャープは、テレビのAQUOSが絶頂(確か国内販売シェアの4割とか)で、ケータイもAQUOSフォンと言うのが三か月待ちとかでなかなか手に入らなかった。太陽電池も7年連続世界シェアNO.1とかで、株価は一時期パナソニックを抜いたりしていた。49歳という電機業界では若かった片山さんを社長に抜擢し、商品の知名度も上がっていたので、人気ありまっせ感があった。入社した僕らは、「コンパで日立よりはモテるやろ!横文字やし!」みたいなことを本気で言っていたし、思っていた。つい最近までは時給で働いていたのが、研修を受けるだけで22万円とか貰えたのは、これが社会人の威力かと、世の中が違って見えた。

 スーパー武闘派な営業集団

※ここから先ははあくまでも、僕という人間のフィルターを通ったちょっと前のシャープの一部の話です。
シャープは元々けっこーな三流メーカーだった。家電においてはとにかく値段を下げて、他メーカー専売の販売店になんとか切り込んでいく。そんな営業をやっていたと、もうすぐ定年でしょっていうおっちゃん社員からは何度も聞かされた。「トラックに洗濯機積んで、元旦から売って回る気持ちなんか分からんやろ!」と、どこか自慢気に俺らはやってきたんやぞ感満載で新入社員の僕は飲みの席でよく絡まれた。販売店からも、シャープがこんなに成長するとは本気で思わなかったと何度も言われた。なので、営業職においては「ええからやれ」という文化がかなり強かった。

自分(新入社員):どんな提案したら販売店の方喜んでくれますかね?
上司:とりあえず、社長に会って詰めるんよ。社長が決裁者やから。
自分:詰、詰める(どういう意味?)…。どうやったら社長が会ってくれますかね?
上司:アポ取ればいいのよ。
自分:アポ…。なんか言い方ありますかね?新人が社長に直接とかだと失礼だみたいなのはないすかね?
上司:ガタガタ言わんと、訪問して今月目標分売ってこい!!
自分:は、はひー!!

五年半勤めたので、その後はさすがに色々工夫が入ったりしたが、根底には考える前にはよ売れみたいなのがあった気がする。売れないのは気合と根性が足らんだけみたいな。確かにそうなのかもしれないが、もうちょっと考えるべきところは考えた方がいいんちゃうかなと生意気にも感じていた。会社の経営者と話をさせてもらう機会が多かったことは、否が応にも成長するきっかけになっていたのだと感じられるが、当時は正直嫌で仕方なかった。嫌で無くなるにはどうしたらいいかばっかり考えていたけど、ひたすら嫌だったみたいな日々を送っていた。

先行入金と人情

どこの会社もかもしれないけど、販売先の与信枠が無くなると商品を出荷できなくなる。ただ出荷できないと目標にいかないので殺される。あんまり冗談めいた感じではなく、本気で殺される。そうするとどうなるかと言うと、販売先から先行入金をしてもらわないといけなくなる。だいたいの場合、在庫を持ってもらうが為の入金なので、「在庫を持ってもらう」と「先に入金してもらう」の二つに同意してもらわないといけなくなる。これが本気でハードル高かった。当時の僕の年収額みたいな金額を入れて貰わないといけなくて、それがけっこー毎月発生していたような気がする。だんだん在庫も積み重なり理屈ではなくなってくるので、負担をかけていることは承知しつつも、「仕方ないね、いつも頑張ってくれてるもんね」って入金してもらった時とか、普通に泣きそうになったりしていた。ほんまこの人の為なら、在庫一個一個売り歩かなあかんなと毎回本気で思っていた。相手はもしかしたら、ルーチンワークだったのかもしれないけれど、僕にとっては毎回どこの販売店も命の恩人だった。

で、これ何のためにやってんやっけ。

地デジ切り替え前の2009年2010年はエコポイントもあって、テレビはめちゃくちゃ売れていた。しかしながら、それは完全な需要の先食いであることは明白であって、ケータイも制度が変わって半年に一回とか切り替えられなくなっていた。アイフォンも出始めていた。その危機は分かっていて対策も既に打ちつつあると経営陣は言っていたが、当時の僕の記憶では、地デジ後に売上5,000億ぐらい下がりませんかと思っていたら、
2010年度売上 3兆円ジャストぐらい
2011年度売上 2.45兆円ぐらい
となった。
http://www.sharp.co.jp/corporate/ir/library/financial/pdf/2012/1/1203_4pre.pdf

僕の扱っていた太陽電池は、制度が追い風となり伸び始めていたが、本業が揺らぐとそんなのは関係無いことを当たり前なんだけど、思い知らされた。5,000億の売上減とか気合と根性でどうにかなるもんなんか本気で良くわからんなと思いながらも、ひたすら気合と根性を磨かせられる日々を過ごしていた。結果として、僕は何のためにやってるのか自分でも良く分からなくなったから辞めたんだと思う。

ええからやれ

シャープの凄さは、やっぱり気合と根性が磨かれることだった。そしてそれは、殺人的な非効率性と、圧倒的な非合理のもと、より磨かれるのであった。なるべく手書きで処理を行い、FAXを駆使して、電話をかける。メールはリアルタイムで確認出来ないし、取引先もそんな状況。ミスしやすい業務システムだけども、ミスしたらそのリカバリーに半日かかったりする。業務の改善を求めるものの、皆忙しすぎて対応出来ない。全体的に今の世の中とそぐわない感があるのだけれども、だがしかし、目標未達なら殺される。

そして、月末はだいたいこんな電話
先輩:月末なんぼで出すの?てか、俺やばいねんけど。
自分:見込み隠してて、80%はいきますけど、今は70%って言うてます。いずれにせよ、殺されます。ぎゃははー
先輩:おれ、50%いけるかどうかやねんけど。もう、事務所帰られへんねんけど。
自分:50%はマジできついすね。もう感情消し去ってやり過ごすしかないすね。
先輩:いやー、もう吐きそうやわ。ほんま嫌やわー。もうほんまに嫌やわー。

みたいなのを月末に絶対やる。中間でもだいたいやる。限りないストレスの海の中で、戦友が仲良くなる理由が分かるぐらい被弾するし、被弾しているところを見てきた。危機ばかりやったけど、開き直らなければやれないことが多くて、めちゃ苦しかったけど、笑うしかない時はほんまに面白かった。当時以上に振れ幅の大きい日々は、今のところ無い。そして、あの感じもう一回したいかと言われるとだいぶ躊躇する。転職して、ソフトバンク関連の会社に入ったけど、今まで高山トレーニングしてたんやなと感じるぐらい業務自体はやりやすかった。でも、世の中の物事はだいたいが問題を内包している。いかにその問題を的確に浮き彫りにできるかも大事だけど、どれだけ分析しても最終は「ええからやれ」ってことになることが多い。そして、「ええからやれ」で「なんだかんだで出来ました」ってなる感じは、力強い。どんだけ説明しても、やらない人はやらないし、説明しなくてもやる人はやる。「ええからやれ」は物事を進める上で実は大事で、暗にそれを叩き込まれていたのかなと今になっては思える。

やっぱもっと復活して欲しい

退職してから、栃木の矢板のお客さんのところへ行くことがあった。結構年配の方だった。新入社員研修で、テレビを一週間作った工場がある場所だった。前職がシャープだったことを伝えると、いたく感動してくれた。「そうですか、シャープですか。矢板の世帯数は一万ぐらいで、あそこの工場は2-3,000人働いてるんで、親戚とか含めると誰かしらは繋がるんですよ。シャープのおかげで、家も建てれて、子供も学校に行かせられてそんな人がたくさん居て、感謝してますよ。だいぶ厳しくなってるみたいですけど、電球から何から僕もできるだけいろんな物買うようにしてて、あんまり意味ないかもしれないですけど、頑張って欲しいんです。工場が出来た時は嬉しかったんです。」てな話を栃木弁でされて、え、泣いていいんなら、全然泣けますけどもぐらいなんか自分も感動した。こうやって知らないところの誰かにも企業って貢献してるんやなと言うのが分かりやすくてちょっとグッときてた。

今後のシャープが誰にどのように運営されるのかはよく分からんですが、個人的にはもう一回入社当時に感じたようなウキウキ感を世の中に提供して欲しい。ええからやれに応えてきた時間は、今の自分の持ち場で一生懸命になれる力に変わっている。今度はシャープがええからやって欲しい。応援する。

ほな

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