田舎の人は庭先でよく何か燃やしてるけど、スケールでかくなるとそれはそれで結構特別な感じな話
2016/11/15
22歳で熊本に島流しにあった時、田んぼの真ん中のアパートに住んでいて、梅雨時期には家の前に置いていたチャリカゴにアマガエルが入ってて、そのアマガエルを狙う蛇がドアの前にスタンバっていた日があったりした。うなだれながらアマガエルと共に、会社に向かう道すがら週に一回は庭先でゴミを燃やしてるおっちゃんが居た。田舎の人は、何かとゴミ燃やすなーと会釈をしながら、若干軽蔑をしていたが、今住んでいる近所で「どんどや」があるけん行ってきなっせと言われ、「どんどや」ってなんやと調べてみたら、なんとなく燃やす文化が分かった気がした。
里もんプロジェクトにエントリーすると開催費用が補てんされるらしい。
近所の調整池を利用して準備されている。真ん中の藁の小屋みたいなのを燃やして良いらしい。てか、広いな。
行き道にテントウムシがいた。何十年ぶりかに見たけど、夏にはこの道に17匹いたらしい。
下に入ると除草用のヤギが飼われている。どこかで聞いたことがある。
集まり具合はこんな感じ。100名以上集まっていたらしく、運営側はけっこー大変やなと。
燃え始めて、煙がすんごい。そっこーで苦情くる勢いだが、広さが超越している。
ヤギ焼かれてまうでぐらいの炎量になり始め、さすがに近づけず。
こっちの日常は一つ一つ生々しい気がする。ヤギの臭いも、畑の臭いも、びっくりするぐらいの煙も、近づいたら髪の毛こげそうな炎も、なんか自分たちも生き物なんやなって感じがする。こういう感覚って多分大事なんやろなーってあんまり根拠無いけど信じる訳で、僕も子供もテントウムシの歩く感触や、変な模様のこととか真剣に不思議に思いながら、便利になっていく世の中でも感覚を鈍らせずに居たいなと感じる訳でございます。
ほな