大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

プロフィール

      2016/11/12

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熊本のナガサキ
1984年大阪市生野区生まれ。
中学校時代には、競馬の騎手になるべく新聞配達をしながら乗馬クラブへ通うも
視力が悪く、騎手育成学校には入れず。
高校になって、漫才コンビ「ジョッキー・ジャッキー」を結成し、難波界隈で
活動をし始める。
大学では、一年間中国南京へ留学。
その後、シャープ、SBエナジーを経て、妻・子供二人と共に
熊本へ移住。
(大阪⇒熊本⇒埼玉⇒東京⇒横浜(マイホーム購入)⇒熊本の順で引っ越し)
すこぶる良い自然環境の中でこそ、もっと面白いことができるのでは無いかと
勝手に盛り上がり、まず熊本から日本を面白くすることを目的に生き始めている。

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1984年大阪市生野区生まれ。
中川生まれ、桃谷育ち、キムってやつはだいたい友達的な
小・中学校生活を送る。
中学校時代は競馬の騎手に憧れ、新聞配達をしながら
服部緑地の乗馬クラブに通っていた(大した回数も行ってないのだが・・・)。
しかしながら視力が悪く、書類審査時点で不適格となり、騎手育成学校には
進めず、東住吉高校芸能文化科へ進学。
漫才を始め「ジョッキー・ジャッキー」というコンビを組む。
色々とライブに出たりとしていたが、
☆ジョッキー・ジャッキー知ってる?
みたいなのを発見した時、ああこうやって俺たちは売れていくのだな、みたいな麗しき勘違いをしながら
毎日を過ごす。高校在学中に売れたいばっかり考えていたけども、特に何の波風も起こすことはできず、
平然と卒業を迎える。やった感とやれてない感の狭間で、卒業式に号泣していたことを覚えている。

桃山学院大学へ推薦入学をした為、受験勉強は全くせず。
入学してもどうやったら売れんのかなーばっかり考えていたが、
ふとライブの打ち合わせをしていたある日、フリーター先輩芸人の年齢が10コ上だと
いうことに気づき、俺このままで大丈夫なんやろかと、いきなり怖気づく。
たぶんフツーにやっててもあかんのやろなーと、一年ぐらい留学に行こうと勝手に決める。
アメリカに行く金は無いから、中国だったら行けるかなと、中国を行先に決める。
単位が振り替えられる交換留学がベストだったので、中国語入門みたいなしょぼい本を
ちょっとだけ読んで、留学生にふさわしいかの面談にいった。
「私の名前はナガサキです」しか話せなく、それも四声的に合っているのかも
よくわからなかったが、2名枠に対して2名の応募しかなかったので、行けることになった。
その後、大学の掲示板で見つけた中国語サークルに行き、初日に「お前、死ヌ、ヤル、どっち?」
と胸ぐらを掴みながら聞いてきた怖い先生の元、半年間特訓をして、南京に一年間留学した。
ルームメイトは、半年間がラトビア人、半年間がオーストラリア人だった。

帰国後、気づけば周りは就活もほぼ終盤の状況であった。
しかしながら、団塊の世代大量退職に伴う、大量採用シーズンと化していたので
いくつか大手企業から内定が出た。
中国に行っていたにも関わらず、時代を読み取るセンスが無かったのか
電機メーカーを第一志望としていたので、そのままシャープに入社。
留学時代に、内モンゴルの砂漠を訪れ、これからはもっと環境ビジネスが必要だと
感じた為、希望通り太陽電池の営業をやらせてもらう。
同期は450人。太陽電池に携われる人間は少数であったので、浮かれていたのだが、
配属先が「熊本」は自分一人であった。田んぼの真ん中のアパートに収容され、ベランダに
蛇の抜け殻が落ちているのを見た時に、人生は結構早いタイミングで終わるんやなと
途方にくれたことがあった。
その後、太陽電池バブルがやってきて、たまたま達成率が全国一の営業になった。
褒賞旅行にも行けた。
3年半いて、ただの終わりの地であった熊本は、大阪とも中国とも全く違った魅力のある場所だと
心の底から理解をした(妻は熊本出身でこの三年半の中で知り合いましたし)。

その後、東京に転勤となり、結婚、子供が生まれ、その里帰り出産中に転職。
SBエナジーへ入社し、発電所の開発業務、電力小売り事業の立ち上げ等を行う傍ら、
ソフトバンクアカデミアに内部4期生として入校。
そして、まったく活躍せず。。
恐ろしく優秀な人達を初めて目の当たりにし、ただただビビる。
今まで何をしてたんだ、自分は。。と、これまでの時間の使い方を反省させられたりもする。
何食べたらそんな風になるのかよく分からない怪物達と出会う。
そして、怪物達はみな、「志」なるものを持っていた。
怪物を怪物たらしめたる所以は、その「志」に向けた日常の過ごし方であるように見えた。

自分は何がしたかったんだっけか。

やりたいことをやっているつもりでいたが、怪物を見るとそれがつもりであったことが明確に分かる。
今まで忘れてた本当になりたい自分に向けて歩み出す以外には、この負けてる感を払拭する術は無いと
2年間考えた答えは、「日本で一番面白い人間になる為にはビビってられない」というものだった。
書いてしまうとカスみたいだが、行きつくまでには時間がかかるもので。。
漫才を続けられなかった理由も、アカデミアで活躍出来なかった理由も全てどこかでビビっていたから。
このままやって失敗したらどうしようとか、周りはどう思うのだろかとか、ただ単に面倒くさいとか、
勝手に落としどころを見つけてある程度のとこまでやって良しとしている自分がよく見えた。
怪物達はその辺が全く違う。ある程度とか無し。やるもんはやる。で、本気でやるから突き抜ける。以上。
みたいな。

異常ではあるものの、その生き方はやっぱり格好良いし、自分はそうなりたいと思う側の人間だった。
だったら、やればええやないかってことで、漫才を続けていた先の自分よりも、もっと面白い人生を
歩むため、年収は3分の2となり、妻の実家にてマスオさんをさせてもらいながらも、熊本の自然豊かな環境で、
やっぱこれからは地方っすよみたいな生き方をしたいなと、家族そろって熊本へやって参りました。
本当に生きていけるのかちょっとまだよく分からないのですが、見守っていただけると幸いです。

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