大阪育ちのナガサキが熊本ではたらくブログ

~東京生活を捨て、妻と子供と熊本へ移住をし、地方の可能性を発信する夢見がちな一般ピーポーの日々~

効率至上主義にはレミングスやったことないのかと問いたい話

   

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猛烈に欲しいものとかって言うのが、あんまり無くなってきている今日この頃だったりする訳ですが、これは欲しいなと思ったのです。

しかしながら、自分で買うとなると、おいおいおい、お前そんな時間ないやろが、ふざけんなよおい、に対してのカウンターを1ミリも持ち合わせてないので、これを入手する為には、貰った、もしくは当たったになる必要がある。したがって、これから迎えるであろう忘年会では、毎回賞品が無いと盛り上がりに欠けると意味もなく騒ぎ立て、じゃんけんで勝ったら貰えるみたいなシンプルなルールのもと、自分が勝つまで何度もやり直しを行い、是が非でも手に入れることだけをしながら、年が明けていったら良いと思っている。

話は変わるのだが、効率良くやろうぜとか、無意味な会議はやめようぜとか、本当にその通りだと思うし、そうあるべきだとも思っている訳だが、それを何のためらいもなく、何の後ろめたさもなく、自分は発せられるのかと言えば、答えはノーなのである。なぜか。私は残念ながら、レミングスをしていたのだ。従って、ためらいも無く発することが出来る人間に問いたい。

レミングスをしていなかったのかと。

復刻版ファミコンを見て、思い出したのは、レミングスのことだけであった。ファミコンではなく、スーパーファミコンのソフトであるが、ゲームと言えばレミングスを思い出す。当時、スーファミのソフトは、一本当たり一万円が相場で、それにも関らず、どれが面白いゲームなのかの事前情報はあまり取得せず、店頭でジャケ買いするのが我が家では定番であった。なので、パッケージの裏側に書かれている情報はものすごく重要で、それのみを頼りにするあまり、何度も何度もくそみたいなソフトを掴まされていた。どれがくそだったっかは、あまり覚えていないが、古本屋で500円で売り払った記憶だけはある。

で、レミングスであるが、なぜあれを入手できたのかよく覚えていない。当時、人気だったのだろうか。思っているより、みんな持っていた印象はあるので、売れてはいたんだと思うが、ドラクエやFFみたいに指名買いで行った覚えはないので、なんとなく手に入れたんだと思う。しかしながら、だいぶ面白かった。無思考なレミングスたちが、ただただ行進していくのを、様々な指示をしながら、ゴールに導く。失敗をすると、水の中に落ちていったり、高いところから落ちて死んでしまったりする。パズルゲームとしての面白さを持ちながら、許容可能な残酷さを併せ持つ、危ういバランス感覚が人々を魅了したんだと思う。

そして、何よりも熱狂したのが、レミングスを自爆させるという指示であった。確か、5面ぐらいで出てきたと思うのであるが、カウントダウンが終わると「アーベボ」みたいな鳴き声と共に、ポンと超絶ポップな効果音で爆発する。すると障害物であった、壁が壊れて仲間が進めるみたいになっている。小学生だった僕らは、ただただレミングスを爆発させ、きたねぇ花火だ(ベジータ風に)と、のたまいながら嬉々としてその作業にいそしんでいた。テレビを点け、スーファミのアダプターをコンセントに差し込み、ソフトを立ち上げ、うまくいかないから、フーフーとソフトを吹きまくり、やっとうまく立ち上がり、ゲームをはじめ、レミングスにピコピコと自爆の指示を行い、爆発していく様を眺めてギャーギャー騒ぐ。


あれは、いったいなんだったんだろうか。まぁまぁ面倒な工程を経て、とんでもなくどうでもいいことをしている。つぎ込んだ労力に対してのリターンが、まるで合わない。無縁だ。効率化とか、合理化とか、無駄なことはやめようとか、そんなものと、縁があるはずがない。見るべきテレビを見ず、読むべき本を読まず、やるべき宿題をせず、それらを一切放棄して、スーファミのコントローラーを握りしめ、レミングスをポンポンとただただ弾けさせていた過去のことを思うと、身の回りのほとんどのことは驚くほどに有意義である。

無意味だと切り捨てるのではなく、それらのものからも何かしら意義を見出していく姿勢の方が、結果的には効率化や合理化ににつながるのではないかと、あの時の膨大な無意味な時間と作業の積み重ねが、ここへきて何かしらメッセージを与えてくれているのではと、自分勝手に思おうとしている。だって、あれはなんやったんだろうかって時間振り返ればめっちゃ多いんですもん。

ほな

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